きゅーぽけに所属しているモンローと申します。
基本的にはポケモンの事を書きますが、時々違うことも書くかもしれませんので悪しからず。
ど~も~鈴木です。
昨年6月に転職し、その影響でとある街に住み始めました。
この度、彼女との同棲が決まり引っ越しをしたので、振り返りも兼ねて皆さんに警鐘を鳴らします。
今回お話するカスな街は....
西川口とは、埼玉県川口市の町名である。私が住んでいた場所は蕨(わらび)市なので厳密に言うと違うが、生活圏がほぼ西川口だったのでOK。
ちなみに蕨市は日本で一番面積の小さい市(ワオ!)
西川口は一言で表すと、世界のゴミ箱。治安は割と悪い。
「クルド人100人大乱闘」、「86歳ジジイ郵便局立てこもり」等、記憶に新しい事件が多発している。
その他にも暴力団事務所があり、拳銃や覚せい剤が横行している。
(見たことのない内容の掲示板)
西川口が何故このようなことになってしまったか。
2000年代初頭はNK流と呼ばれる違法風俗街で有名だったが、警察の一斉摘発が入った。そこから一斉に中国人がなだれこみ、今ではチャイナタウンのような居住区ができた。その上中国人だけでなく、クルド人、ベトナム人、フィリピン人など様々な人種がひしめき合っている。
(拾い画)西川口の風景
会社への通勤が楽であり、家の内観のみで居住地を決定してしまったことに住み始めて1日目で後悔した。
まず、駅が臭い。大量の蜘蛛の巣や鳥の糞が落ちていて、その周りで外国人が大声でスピーカーフォンで通話をしていた。
駅を出るとクルド人が子供を乗せたベビーカーの前でタバコを吸っていたのを見てしまい、嫌な気持ちになった。
そして街も臭い。灰皿が家に着くまでに4個設置されており、地面も吸い殻だらけだった。露店にはドリアンが売っていた。
路上には鳥の糞が大量に落ちていた。露店の臭いものを食べた鳥が糞をしているので臭いのかと思った。"風が吹けば桶屋が儲かる"と同じ原理。
風俗街を抜けると私の家に着く。
家の近くの看板。身が引き締まる。
家の近くにはゴミ屋敷があった。当然臭い。
引っ越しの段ボールも1箱少なく届いた。未だに見つかっていないので運び出し時に盗まれた可能性が高い。
街を歩いてみると色々な店があった。
(千と千尋みたい)
(無茶苦茶悪い)
(店名がたまきん。悪い)
(悪そう)
(ザリガニ専門店。臭い)
ゴミ出し問題も多いみたいで、写真はないが、ゴミ捨て場に不法投棄者の顔が晒されていたりもした。
夜の西川口は怖い。
街は全体的に薄暗く、常に外国人が複数人で路上にたむろしている。
外国人が喫煙所で大声でラップをしているのを、アパートのベランダから半裸のジジイが睨みつけていた。
繁華街に近づくと怪しげな中国人が立ち並んでおり、よく声を掛けられた。なぜかよくジジイも立っていたが、誰にも話しかけていなかった。
当然ながら浮浪者もいた。
まとまりのないブログになったが、とにかく住むべきではないとだけ言っておく。
ここには記せない恐ろしいこともあった。知人も性被害に遭いかけていた。日本にいながら疎外感を感じるとにかく異質な街であった。
うまい!
こんにちは。毎度おなじみ鈴木です。
前回のブログから期間が空いてしまいすみません。
今回は私の転職活動について書いていきたいと思います。しばらく前職の悪口が続きます。
良かったらこちらも読んでみてください。
九州大学文系学部卒。卒業後コンビニ会社に入社。
資格は運転免許と、呪術回線で例えると伏黒恵のような英検のみ。
前職のコンビニ会社に就職した瞬間から金・時間・人間関係を理由に既に転職をしたかったが、特段有用な資格も経験も持ち合わせていないため、徒に時間だけが過ぎていた。
高校や大学時代の友人と顔を合わせると決まって仕事の話になるが、皆一様に私よりも年収が高くいつも肩身の狭い思いをしていた。
日に日に自分の頭が悪くなっていくのが分かった。焦りを感じていたが、何故か行動はしていなかった。
30歳までには転職をしたかった。そのために税理士、公認会計士、中小企業診断士の勉強に手を付けてみたがどれも1週間ともたなかった。自分の就活の軸は"金"であると気づいた。
今年の2月に会社で節分の恵方巻の売り込みがあった。エリアマネージャーの私は当然恵方巻の販促をしなければならないのだが、全くやる気が起こらなかった。
理由として、お歳暮やお中元、うなぎなどの歳時物を売り込む際にはノルマ達成のために我々社員が率先して購入する必要があった。所謂"自爆"と呼ばれるものだ。とある先輩は恵方巻を5万円分購入し、食べきれなかった分は捨てていた。またとある先輩はお歳暮を10万円分購入し、高い評価を得ていた。
金を稼ぐために仕事をしているのに、金を使うことが正義である業界に気持ち悪さを覚えて転職を強く考えた。
節分当日に私は担当店舗を2、3店舗巡回し、定時で帰宅したのだが、それがまずかった。どうやら担当店を全て巡回し、余っている恵方巻を買って回るのが通例らしく、私は上司から叱責を受けた。
頭に血が上り、その日のうちに転職サイトに登録をした。
今振り返るとただ上司に叱られただけで大したことではないのだが、こういった何かしらのきっかけが人生を変えるのだと思った。
大手転職サイトの"リクルート"に登録した。理由は大手だから。
以前にも登録したことはあったが、あまりにも面談メールが届くのが鬱陶しかったため無視をしていたら、いつの間にかメールが届かなくなっていた(じゃあ何故登録をしたか)
今回は怒りのエネルギーに突き動かされ、その日のうちに履歴書・職務経歴書を完成させ、リクルーター面談の予約をした。履歴書・職務経歴書に関しては"リクナビ"アプリにテンプレが載っていたため物凄く参考にした。
担当のリクルーターが付くらしく、電話で面談の日程調整をした。
面談当日になり、面倒なためサボろうかと考えたが、リクルーターとの約束を果たすべく漢として面談に臨むことにした。
軽い挨拶を交わし、希望する業界の話になった。
学生時代から変わっていなかったのだが、私はどんな仕事をしたいかが全く固まっていなかった。私はそこで敢えてやりたくないことを列挙してみた。
1.転勤は嫌だ
2.給料は今より10万高く
3.営業はしたくない
4.残業をしたくない
5.休日出勤をしたくない
6.会社に行きたくない(テレワークをしたい)
7.経験者のみ採用は無理
流石に怒られるかと思ったが、「コンサルティング会社が向いていると思うので、今日中に希望に沿った会社を20~40社ほど探してメールします!」と言われたまげた。「30歳を超えると経験が評価対象になるが、20代半ばだと経験と能力が半々で評価されるため、まだどんな会社でもチャンスはある」と熱い言葉を受け、やる気は最高潮に達した。
その夜、25社ほどの会社情報がメールで届いた。多すぎたためひとつも読まなかった。
気に入った会社に履歴書・職務経歴書を送付しエントリーしなければならないが、当然のごとくやっていなかった。
リクルーター曰く「20社ほど同時期にエントリーすることでスケジュール感が丁度よくなり効率が良い」とのことだった。私は面談時にいついつまでにエントリーすると約束していた。リクルーターは私のADHDを見抜いており、信じられないほどリマインドメールを送ってきた。
エントリーするのを先延ばしにしようかと迷ったが、漢として期日ギリギリで給料の高そうな会社13社にエントリーをした。
エントリー後1週間ほどで次のステップに進めた会社、落ちた会社、Web説明会を受けさせてくる会社など色々あった。
1番むかついたのは、Web説明会を2回受けまあまあ行きたくなっていた会社が急に「既定の人数中途採用したため採用活動を終了する」と言ってきたことだ。仕事の合間を縫って時間を捻出していたため、より一層腹立たしかった。よく考えたら残業もめっちゃありそうな会社だったし、社員も仕事が好きそうで気持ち悪かった。死ね。
13社エントリーし、6社次のステップに進むこととなった。外資系の企業から「You didn't~」から始まるメールが届き、すぐにお祈りメールだと気づきテンションが下がった。ちなみに次のステップはWeb面接やSPIを受ける。
最初のWeb面接当日、話すことを何も考えていなかったので涙の面接前辞退をした。残り5社。
休日を利用し、SPIを受講した。自宅で受けられるもの、テストセンターで受けるものがあった。SPIはそこまで難しくなかった。お世話になっている"リクルート"も志望したが、テストがSPI3というものであり、難しすぎて落ちた。ドラゴンボールで例えるとスーパーサイヤ人3である。残り4社。
残り4社の中で最も給与が高い会社(A社)とカスみたいな給与の会社の面接がバッティングしてしまった。仕事をしている傍ら日程調整も難しかったため勇退(コムドット)残り3社。
A社の面接開始10分前。TeamsでWeb面接があり、個人PCの調子が悪く会社のPCで受けようと思った私は慌ててアプリをインストールした。しかし、セキュリティソフトの関係でインストールできなかった。残り5分。
慌ててipadでアプリをインストールしようとしたがiosをアップデートしておらず駄目。残り3分。
最終手段としてiPhoneにインストール。30秒遅れて入室した。向こうがまだ入室していなかったためセーフ。むしろ向こうが遅刻していることが問題である。
恐らく東大を出ているクールな青年が面接官だった。リクルーターから事前に「ここは面接中に厳しいフィードバックをされるからめげるな!」と伝えられていたため恐る恐る面接を受けた。
面接では志望動機や今まで会社でしてきたことを質問された。会社で結果を出したことを尋ねられた際に、「店舗の前の道路の通行人のデータを分析し、比較的老人が多いことが分かった。老人は身長が低いのでより多くの商品が目に留まるよう、商品棚の位置を下げた結果、売上が前年比107%になった。そこでエリアの老人多めの複数店舗にて同様の取り組みを行ったところ、やはり売上が向上し、利益の追求に成功した」などと渾身の適当なことを言った。
「何店舗でどのくらいのスピード感で取り組んだか具体性がない。それは鈴木さんでないとできないことなのか」など、厳しい追及を受けしどろもどろになった。しばらくして急にiPhoneの電源が切れた。
起動していたiPadにiPhoneを立てかけていたため、高熱になってしまったのだ。水で濡らしたり保冷剤を押し当てること5分。電源が入った。
面接官からの鬼の着信が入っていた。慌てて事の次第を説明したところ「これから色々面接を受けるだろうが、次からは気を付けてください」と静かに叱られた。嫌な奴だった。
当然落ちた。残り2社。
残り2社(B社C社)となったが、焦りはなかった。前回の失敗した面接の反省点を活かせばなんとかなると思っていたからだ。残りは全てコンサルティング会社である。どちらも2次面接を突破すれば晴れて内定である。
B社は忙しいがとにかく実力が付く会社である。
C社は残業が少なく働きやすい会社である。
B社を受けた。対面の面接だった。ダッシュでギリギリに到着し、会社の扉をノックしまくり面接官を呼び出した。
1次面接の相手は役員のおじさん1人だった。1対1で会社の説明を受け、簡単な数学のテストを受けた後に志望動機を訊かれた。少しコンビニ業界に似た体育会系な側面を感じ不安になった。A社の経験を活かし1次面接合格。
リクルーターの前情報で簡単なテストがあることは知っていたため平常心で受けることができた。
C社を受けた。Web面接だった。1次面接にはいきなり社長がきて焦った。
A社B社と同じような面接であったため、これまた難なく合格。社長の人柄が良く、非体育会系な会社であることも知れて好印象だった。
リクルーターから事前に、面接後に企業に送るアンケートに力を入れると合格率が上がる。ということを聞いていたたため抜かりなく書き込んだ。
気合を入れて髪を切りに行った。「転職面接に合う髪型にしてほしい」とよく分からないオーダーをした。静かにBLEACHを読んでいると美容師が転職についてあれこれ尋ねてきた。コンビニからコンサルティング会社にキャリアチェンジする話をしたところ「コンビニは合コン受け悪そうだから転職したほうがいっすね~」などと軽口を叩いてきた挙句、お坊ちゃまみたいな髪型にされたので口コミを星1にしておいた。
まずはB社を受けた。ダッシュでギリギリに到着し、会社の扉をノックしまくり面接官を呼び出した。「インターホンがあるからそちらを押してほしかった」と言われ、赤面した。
最終面接はなんと会長と社長の2人がやってきた。少々委縮した。
流石に最終面接ということもあり、めちゃめちゃにホームページを読み込んだり、業界研究をしたり対策をした。ホームページを読み込んでいると『先輩社員の1日』というページがあり、8時に出勤し20時に退勤していた。退勤後はリラックスするために英語のリスニングを勉強しながらウォーキングと書いてあり不安になった。
「公認会計士を取得し、英語を喋れるようになってもらうことがゴール。毎日が勉強で埋め尽くされるが耐えられるか?」そのようなことを社長に訊かれ、心底嫌だったが「覚悟の上です」と真剣な眼差しを投げかけた結果、内定を得た。併願企業も最終面接フェイズであることを伝え、1週間待ってもらうことになった。
内定を得たことで心に余裕が生じたが、転職活動の癖が付き、気持ちが緩むことなく3日後のC社の最終面接に臨もうとしていた。
最終面接当日、車中にて面接練習をブツブツと唱えながら帰宅をしていた。練習に集中するあまりいつもと違う道を通ってしまい、面接に間に合う時間ではなくなってしまった。慌てて「パソコンのプログラム更新が急に始まったから5分待ってくれ」と連絡し、大急ぎで準備した。
最終面接はWebで、役員、社長、会長の恐怖の3人体制であった。
お約束の質問に答え、出題された課題を解いた。1次面接では優しかった社長が鬼詰めしてきて恐ろしかった。体感合格率は20%ほどだった。
最後に会長から「地元は好きか?大学では何を勉強したか?」などの拍子抜けする質問が飛んできたため笑ってしまった。
結果は3週間後に出す方針らしく、B社に行きたくなかった私は「3日以内に結果をお願いします」と無理を言った。
なんと最終面接3日後に内定通知が届いた。正直落ちたと思っていたため心の底から嬉しかった。
B社には辞退の連絡をし、C社に決めた。
C社から内定を貰ったその日に上司に電話をした。直接会って話をしたい旨を伝えると「まさか辞めるとか?」と冗談めかしていたため「そのまさかです。1か月後に辞めます」と伝えた。入社して1番楽しい瞬間だった。
退職するにあたり、肩身が狭くなることはなかった。むしろ責任から逃れることができ、清々しい気分であった。退職する旨を色々な人に伝えるのは面白かった。思わずニヤニヤしてしまっていった。
最終日に所属する営業所で送別会を開いてくれ、その場で上司に「今だから言うが、お前のことを1か月無視しててごめん」と言われた。今だからこそ言うなよという話だが「多分3か月は無視されてましたよ」と静かに返した。もはや辞めるとなると色々とどうでもよくなる。
しかしながら、会社からのアンケートに、自分の知っている限りの憎い奴らの悪事を書き連ねて提出した。死ね。
会社の同僚やお世話になった方に挨拶をし、無事内定通知が出た1か月後に辞めることができた。
C社の社長とオファー面談を行った。どういうものかというと、給与などの条件を話し合うというものだ。前職の給与を考慮し、これからの基本給を決めた。
前職では家賃補助があったことを伝えると、3万円基本給が上がったりした。
諸々込みで前職より10万円ほど基本給が上がった。前が低すぎたのだ。結局B社に提示された基本給と同額になったのであらためて良かったと感じた。
同時に私を除く2名を採用したらしく、京大卒の人と中央大学を飛び級した人だと説明を受け戦慄した。
ちなみに私のSPIの結果が上位2%だったこともあり、予定より早く内定を出してくれたそうだ。ありがたい。
ステマのようになってしまったが、"リクルート"を使用して本当に良かった。前職から給与が上がるに伴いリクルーターの報酬も上がる仕組みらしく、それを差し引いても優秀な熱意のある人間が担当となってくれてありがたかった。ちなみに、最初のWeb面談以降のやりとりは全てメールである。
今の会社は残業も少なく、休日出勤もない。おまけに人間関係も良くテレワークがメインである。当然転勤もない。文句の付け所が一つとしてない。
これだけ長たらしく書いたが、転職活動は実に1か月半ほどで終わった。仕事をしながらだったため時間の制約はあったが、次々にテンポよくステップが進むのが面白く、苦にはならなかった。13社受けて内定は2つ。打率としては良くないが、まあこんなもんだと思う。
よく調べず会社に近い沿線上に引っ越したところ、スラム街のようなところで暮らす羽目になった。引っ越しの段ボールが1箱届いていなかった(荷下ろし中に盗まれた?)
街は常に臭い。ゲロが落ちていて目を背けると、その先にネズミがいた。また歩いていると鶏の脚が落ちていた。すぐにでも引っ越したい。
なんかエロくない?
お久しぶりです。鈴木です。
社会人5年目となったこの私、なんと転職しました!!!
5年目ともなると周囲の人間も3割くらいが転職しており、私もずっと転職のタイミングを伺っていました。
今回は前職での出来事や転職活動をまとめたかったのですが、あまりにも前職のパートが長くなりすぎたためブログを2つに分けました。
少し長くなるのですが、是非読んでいただきたいです。(転職編は近日中に公開します)
学生時代の就活ブログも載せておくので本当に暇すぎる人はこちらもお読みください。
私は大手コンビニ会社から内定をもらった。特に行きたい業種ではなかったがそこしか受からなかったためありがたくそこに決めた。
当時は殆どアルバイトをしておらず手元には毛ほどの金もなかった。夏に会社の新入社員研修が開かれるということで、新幹線の事前予約割引を駆使して大阪まで向かった。
内容は入社後にすることの軽い説明と、同期たちとの親睦を深めるというものだった。4人1組が縦1列になり先頭の人間が目隠しをする。後方の3名がムカデ人間のように連結し、先頭者に歩く方向を指示してゴールまで到着するというゲームをした。
5時に起きて高い金を支払ってわざわざ大阪まで来てやったのに自分はいったい何をしているのだろうと思った。
初対面の関西人に「俺らもう友達やんな!」と言われたので「ちがうよ」と言っておいた。
研修終了後に同期たちで飲み会があったらしいが当然誘われていなかった。
卒論をまじで書かなければならない時期にまたしても研修が大阪で開催された。
研修内容はあまり覚えていなかったが、異様に歯の汚い女がいたことだけは覚えている。
今回は飲み会に無理やりにでも参加しようと思い新幹線を遅い時間に予約していたが、飲み会はなかった。予約時間の変更は不可らしく駅構内で4時間ほどただ座っていた。
最寄りの博多駅に日付が変わるギリギリに到着した。外は大雨だった。勿論傘はない。
「コンビニの社員になるのだから系列の店には自転車を停めてよい!」という超理論で駅近くのコンビニに駐輪していた自転車は撤去されていた。
タクシーを拾う金もなく、意味もなく持っていた卒論に使う文献を濡れないよう大事に抱きかかえながら1時間歩いて帰った。
入社式は寝た。隣にいた女を食事に誘うが断られた。よく考えたらクレヨンしんちゃんの話しかしていなかったから当然ともいえる。
社会生活が始まった。片道1時間半を掛けて人生初の満員電車に押しつぶされながら通勤をして心が病んだ。
タトゥーまみれの坊主が満員の電車内に座っていたり、駅で大声を出しているおじさんを見ながらどことなく春を感じた。
ある日出勤していると電車内で押されてバランスを崩してしまい、席にいたおじさんの膝の上に座ってしまったこともある。どうしてもそこから動くことができず、おじさんが眠ってしまったので私もそのまま寝た。ありがとう。
社員寮が一緒の同期と帰宅中に新宿駅を歩いていると「こんなとこ通ってるんだ」と言われたため、土地勘のある同期に普段通っている道を教えてもらった。しばらく歩いているとその道が行き止まりだった。よく分からなかったので事情を尋ねると、初めて通る道を案内したらしい。怖すぎて人生で3番目に怒った。最寄り駅に着いて牛丼屋に誘われたが流石に行かなかった。
通勤が苦痛すぎて何度も遅刻をした。同じく遅刻をする同期とよく居残りさせられて叱られており、「なぜ度々遅刻をするのか」という上司の問いに対し同期が「洗濯物が干し終わらない」と意味の分からない返答をしていて、こんなやつらと自分が同等であることに絶望した。
出勤をしても地獄。「この会社は学歴で採用していません!」といきなり上司が大声で騒いでいた。じゃあ何を見て採用したんだよ。仲良くなった人の大学名を調べてみたら遊戯王みたいな偏差値だった。BF(Border Free)というらしい。
とにかく大声を出して挨拶をさせられた。接客業だし仕方ないのでそこは耐えた。
1ヶ月の研修を経て晴れて店舗に配属となった。
初日に白ズボンを履いて行ったら店長に非常識だと叱られた。後で分かったがそもそもダサいアイテムらしい。さっき捨てた。
店は物凄く暇であり、それに対し社員が8人もいたので何も学ばずに苦労することなくぬくぬくとしていた。
ただ給与が脇毛くらいしかなかったため転職は少し考えた。
上司に転職を考えていると打ち明けたところ「今辞めたら経歴に傷が付くから3年は待て」と言われ思いとどまった。相談した日から少し嫌われた。
これも後になって分かったが、部下が退職すると上司の給与が下がるらしい。やられた。
異動の内示が出た。これまでよりも過酷な店舗に配属となった。朝は歯のないアル中のババアがいて、昼はすぐにキレる中年と、風呂に入ってない中年の2名がいた。夕方には悪口でサークルの雰囲気を壊すことが趣味の大学生がいた。夜勤のウズベキスタン人がトんで人生で2番目にキレた。
社員は廃棄食品を食べてはならないきまりだったが、しっかりと食べた。同期に密告されてしまい顛末書を書いた。同時期に夜勤者が店の金を盗み社内で炎上した。コロナも始まりいよいよ頭がおかしくなって休職を考えた。コロナになって仕事を休もうと汚げな場所をねり歩いていたが、効果はなかった。
この頃zoom飲み会が流行っており、酔いすぎて自宅の床に吐いた。恥ずかしい。
異動の内示が出た。新店をオープンする担当となり、スタッフの面接や開店の準備などをした。開店前日に社員一人ひとりが関係者全員に向かい挨拶をする。何を話すか考えておらず、直前に見た後輩のメモを思い出してそれを喋った。
彼氏がいるアルバイトの子に告白をしたら「彼氏がいる」という理由で振られた(小泉進次郎)
給与は1年目と変わっておらず、何なら税金の関係で1年目よりも低い鼻毛のような額であった。
異動の内示が出た。本来であればこのタイミングで営業部に配属となりエリアマネージャーをする。しかしながらコロナの影響で現場が混乱しており、無期限で店舗勤務延長を言い渡された。
異動先は"霞ヶ浦"と上司から告げられた。官公庁街の"霞が関"だと勘違いしており言われたままに調べるとそこは茨城県であった。1週間後に転勤を余儀なくされ比喩抜きで泣いた。
茨城県は車のない人間が住むには過酷すぎた。スーパーの近くに住まないと生活ができず、その結果駅からも職場からも6km離れたとんでもない場所で暮らすこととなった。
何故だか自転車通勤が禁止されており既に廃棄を食べて後がない私はルールを守らざるを得なかった。片道1時間かけて山道を歩いて通勤した。東京喰種でカネキが耳に入れられていたものと同じ種のムカデが出たりした。
休日もどこにも行かず家の中で過ごした。この頃に自分の中から怒り以外の感情が消えた。
程なくして会社から通勤用の車が貸与された。パピルスドライバーだったので9月に返却するまでに3回事故をした。
給与がわずかに上がり脛毛くらいにはなった。
異動の内示が出た。東京で営業部として配属となった。エリアマネージャーの見習いのようなポジションであった。
休憩中に車内でシャドバをやったり、会議中に寝たり、早く終わったのでもう帰ろうと言ったりしていたら職場全員から嫌われた。後に上司となる先輩には3ヶ月無視された。
土日も時々出勤があるため精神のみならず肉体的にも参った。転職を考え簿記の勉強を始めたが、1週間ともたなかった。
その気になればいつでもエリアマネージャーになれたのだが、見習いの立場が楽過ぎて昇進する気は全くなかった。そのことを上司に知られてしまい、最低の評価を受ける。
給与も変わらないままで中小企業診断士を目指すが3日で勉強を辞めた。
私が昇進しないと後輩たちが見習いになれないらしく無理やりエリアマネージャーとなる。
前に3ヶ月無視してきた先輩が上司になり詰む。
給与が5万円あがり、ようやくまつ毛くらいになった。
店舗にトラックが突っ込んだ日に、店員が未成年に酒を売ってそいつが逮捕されたり中々ハードな経験をした。未成年逮捕を上司に隠蔽しようとしたがバレた。
朝から晩まで仕事をし土日にも沢山仕事をした。
3月末に転職先から内定が出る。
転職パートは割愛。
仕事はそれなりに頑張ったが、上司に嫌われていたのに加えて隠蔽が祟り評価は得られなかった。
給与は900円しか上がらなかった。
4月末に退職した。
就活ブログにも書いたが、働くうえでは軸が必要である。
よく調べずに入社したが、全国転勤はきつい。
昇給も遅く仮に昇進したとしても給与はさほど変わらない。
コンビニ業界ということもあり24時間365日何かが起こる。
これから就職をする人は口コミなどをよく調べてから入社することを強くお勧めする。
会社の同期は入社してすぐに退職をしたが、しっかり転職先が見つかっていた。無理ならすぐに辞めた方が良い。
ここまで読んでくださりありがとうございました!暗い話や文句がベースのブログでしたが、社会性のない私にとっては良い経験にはなったと思います。後悔はないです。
転職についてのブログは近日中には公開します。
こんにちは
先日友達がコロナウイルスに感染しました。
そこで今回はコロナウイルスに罹った場合どうなってしまうのかを書いていこうと思います。病院でPCR検査を受けて陽性反応が出た後のお話です。
⚠︎あくまで一例ですので過信は禁物ですぜ。
病院と保健所は連携しており、診断されてから数時間後に保健所から電話がかかってきます。症状の確認、数日間の行動、発症してから関わった人のフルネームなどについての質問をされます。
その後受け入れ先が決まります。症状が重たい人はほぼ確定で入院できるみたいです。友達は運良く受け入れ先があり、発覚日の翌日にホテルで療養することになりました。最低でも1週間は隔離されることになります。ホテルにはほとんど何もなく、洗濯物も手洗いになるため注意が必要です。ビジネスホテルだと考えるといいです。ただホテルは食事込みで全て無料です。やったぜ。
受け入れ先がない時は自宅療養になるそうです。ペットや子供や仕事などやむを得ない事情の場合も同様です。その場合は何と外出しないように一定期間無料でご飯を届けてくれるみたいです。
翌日に家まで迎えに来てくれてホテルまで送ってくれます。
え?職員の感染リスクやばくない?とか思いましたが、車の中は運転席と後部座席が完全に透明のシートのようなもので分断されているらしく用がある際は運転席の職員に電話をするとのことでした。
ちなみに他の感染者も3人くらい同乗していたみたいです。もうみんなコロナなので『密』とか関係ないみたいですね。
非常階段から廊下に出てホテルでの説明を受けます。
【ルール】
・7時と13時に体温などの健康状態をフォームに入力
・発症から10日間かつ症状が無症状になり医師からOKが出たらホテルから解放
・飲酒、喫煙禁止
ここで朗報ですが、なんとAmazonは使えます!食事と一緒に届けられるそうなので1日3回受け取りのチャンスがあります。
ちなみにホテルには何故かめちゃめちゃタバコの吸い殻があったみたいです。
一般的なビジネスホテルといった感じ。ここから軟禁生活がスタートする。
補給場。分かりにくいがトイレットペーパー、ティッシュ、飲み物などがある。勿論取り放題。フロア全体がコロナ罹患者なため出歩いても問題はないということか。
あまり意味は分からないが、しっかりと密封されたご飯が1日3食支給される。
デブの夢のような食事。これだけでビール2缶はかたい。
健康的な食事。朝からこの量は多い。野菜嫌いなため地獄。
デブの正夢のような食事。気持ちサラダで誤魔化しを効かせたか。
少し抑え目になった。ただホテルの部屋から動かずに生活しているからお腹は全然空かないだろう。
素直に美味しそう。500円までなら出せる。
3日目昼。軍艦みたいな大きさの米が隠れている。
終わりの社会人が食べる弁当。そういった人たちを応援していきたい。
もう一度書くが500円までなら出せる。いや、高いわ。
昼飯担当は確実にデブだろう。これぞ漢の飯。
初めて見るタイプの弁当。昼にもトンカツあったよなと思った。
いつもの朝がきた。
素直に美味しそう。
初めて見るタイプの弁当。
アサカーラ・ライス2世(2021~)。ヤツが帰ってきた。
昼飯担当が処刑された。健康な食事が戻ってきた。
チャーリーの工場に来たみたいに茶色い。
1週間が経った。この朝食を見ると1日がループしている気分になる。
そんなことはなかった。見えづらいがルーの中には戦艦みたいな量の米とカツがある。
異国にやってきた。昼間に戦争をしたから軽めの量。
お馴染みのやつ。人生でワタナベの漢字に苦しめられたくらいの回数見てる。
めちゃめちゃ暇だったのでswitchとポケモンのアニメを1話から視聴していたらしい。
8日目の朝に医師からもう出てOKと告げられた。指示に従い部屋で使用したものをゴミ袋に密閉してホテルを去る。帰りの送迎はないため自力で帰ることとなる。
症状がなくなってからも暫くは嗅覚が戻らなかったらしい。今は徐々に回復しているそう。
鼻出してマスクつけてるやつ全員ワタナベマホト好きそう。
お久しぶりです。
急にブログを書きたくなり特にネタもなかったのでこんな記事になりました。
時々自分の子供の頃を思い出すことってありますよね。私は小学校3年生になるまで自転車に乗れませんでした。というよりも乗りませんでした。ポケモン同様にダッシュだけで賄えると思っていたからです。
しかしながらある時あまりにも遠すぎる家に行かねばならず、体力の限界が訪れて自転車の友達に置いていかれたのがきっかけで自転車を猛練習しました。
それから私の行動範囲は爆発的に広がり、殆ど毎日色々な友達と遊ぶようになりました。
そんな酸いも甘いも知り尽くした私のランキングです。
ではどうぞ。
3位
久保くんの家のカール
スナック菓子をポンと友人に振る舞える家は一流です。殆ど毎日遊びに行っていましたがその度にスナック菓子が出てきて大歓喜していました。デカいテレビからはよくアニマックスが流れていました。裕福に違いありません。
久保くんの家にあった暁!!男塾という漫画にめちゃめちゃエロいシーンがあってよくこっそり読んでいた思い出があります。
2位
高木くんの家の苺大福
小学生の頃私は高木くんと漫才コンビを組んでいました。ネタ合わせで高木くんの家にお邪魔した際にお母さんから振る舞われました。
かなり美味しく、丁寧にお礼を言ったところそれが気に入ったみたいで私が行くたびに苺大福をくれました。
正直何回目かで飽きてきたのですがそう言い出すわけにもいかず、終盤は苦しい思いをしました。
ある時高木くんから「お前は親たちがエロいことをして生まれた!」と突然言われて初めてセックスというものを知り悩みました。
1位
周田(すだ)くんの家のポテトチップス
コストコで買ってきた超巨大ポテトチップスでした。とにかくデカすぎて2人では食べきれませんでした。ただ、お腹いっぱいになるまでお菓子を食べたいという子供の夢が叶ったため幸せでした。
ある時他クラスのまあまあ可愛い女子が周田くんのことを好きだという噂が流れてきました。結局のところ菅田将暉が好きで全然周田くんには興味がなかったみたいで、それを死ぬほどイジっていたらエアガンで撃たれました。人間本当に痛いと動けなくなるのですね。
ここからは私が絶対に許せない食べ物たちを紹介していきます。
圏外①
山川くんの家のブルガリアヨーグルト
山川くんのおばあちゃんから渡されました。
ヨーグルト自体は好きなのですが、どうしてもヨーグルトがお菓子だと思えず初めて拒否をしました。これは本当に失礼なのですが見知らぬババアから渡されたものを口に入れる気が無かったのも拒否の要因です。
山川くんの家は大昔に建てられていて、誇張抜きでトイレが5個くらいありました。
どうやら昔の人は性器が多めみたいです。
圏外②
柴田くんの家の麦茶
夏の暑い日に柴田くんのお母さんから麦茶をいただいたのですが、あまりにも薬品臭がして飲めませんでした。飲む用ではなく虫除け用なら効果はありそうです。
小学3年生のころ地区のクリスマスイベントで500円くらいのプレゼント交換会が催されました。
皆はいい感じの文具やデュエル・マスターズのパックなどセンスのあるプレゼントを持ってきていたのですが、その時に運悪く柴田くんの持ってきた茶色のバインダーが私の元にやってきました。
絶対に小学校で使うことのないバインダーなのが意味不明で、しかも茶色だったのがショックすぎてそれ以外地区のイベントに参加するのをやめました。
以上です。また思い出してランキングが変動したら更新します。
ここまで読んでくださりありがとうございました。
これはORASが大流行していた時の話である。当時私は大学1年生で、ポケモン対戦に熱中するあまり学業を疎かにしてしまい進級が非常に危うい状態であった。
そのため私は今までの負債を取り返そうと死に物狂いで勉学に勤しんだわけである。しかしながら、そのような中でもやはりポケモンは切っても切り離せない存在であった。丁度その頃に先輩からフレンドボールに入ったヨーギラスを貰っていたこともあり、私の頭の中には常にバンギラスがいた。
私は嬉しくなり、バンギラスの当時の対戦環境での優位性を真剣に考察してみることにした。性格を陽気にして竜の舞を使用することで当時対戦環境を席巻していたメガガルーラ・メガゲンガー・化身ボルトロスあたりに非常に強く出られると思い、ダメージ計算をしながらあれこれと努力の配分や技などを練っていたが、1週間ほど考察しても結論が出ないままでいた。
そんな中アルバイトの時間がやってきた。私は塾講師をしており、パソコンのwebカメラを使用して遠隔地の生徒に数学を教えていた。『東進』を想像すると分かりやすいかもしれない。金銭を受け取っているのにもかかわらず余りにも責任感がない話だが、私は度々生徒の目を盗んで居眠りをしていた。生徒が演習問題を解いている隙に資料を熟読しているフリをしながら眠って元気になっていた。
丁度その時が大学のテスト期間であったため、先程も述べたが進級のかかった私は寝る間も惜しんで勉強していた。日中はテストを受け、夜はアルバイトの生活がしばらく続いていた。更にポケモンの考察までしていたとなると、どうしてもアルバイト中に疲労のツケが回ってくるわけだ。私は眠りに眠った。いつもはイヤホン越しの生徒の声ですぐに目覚めるのだが、その時は中々覚醒しなかったようであり、生徒の「先生!大丈夫ですか!?」といったような私を心配する声を聞いて慌てて飛び起きた。
その瞬間私は「バンギラスで竜の舞をして上から殴れ!」と生徒に向かって怒鳴りつけた。
本当に寝ぼけていて訳の分からない妄言を吐いてしまったのだ。突然私が大声を出したため、私のいたブースは静まり返り、画面の生徒も驚きと恐怖の入り混じった顔をしていた。
そこでやっと私は自分がしでかした事の重大さに気づき、「だからこれは上に凸のグラフだろ?だから上から殴るんや!」と、とりあえず「上」というワードを使用して勢いに任せて先程の失態を無かったことにしようとしたが、「えっ!?えっ!?」と生徒は動揺してしまい寧ろ逆効果だった。
普段は雑談を交えながら楽しく授業をしているのだが、その時はお互いに必要最低限のことしか話さないまま暗い雰囲気で授業が終わった。
その後塾長から呼び出されて本気で叱られ、アルバイト先の先輩から「調子に乗るなよ」とLINEが届き、皮肉なことに私が上から殴られてしまった。1年間教えていた生徒たちが志望校を受験した日に殆ど追放という形で退職した。したがって生徒たちの合否は分からないままである。
結局私は無事に進級することができ、何とか希望する研究室に入ることができた。塾を追放されてからは狂ったようにアルバイトの面接に落ちた。また、バンギラスの調整を考え続けていたらいつの間にかサン・ムーンが発売され、考察の全てが水泡に帰した。
結論
ミミッキュは強い!