どうも。今回はポケモンとは別の話を書きます。クソ記事なので斜め読みするのをおススメします。あと、やはり無駄に長いです。お気を付けて。この記事は宣伝していないのでたどり着けたあなたはラッキーかもしれませんよ。
端的に言うと、、、
留年寸前でした
前期に大学をサボり続け、後期になってもその癖は治らずズルズルと留年への道を歩んでいました。実はこれまでに幾度となく留年の危機に襲われたこと(テスト爆睡事件・テスト遅刻事件)があるのですが、テストで満点を取るなどの神プレーで回避してきました。
しかし、今回ばかりはそうもいきません
レポート提出の締め切りを過ぎました
そうです。僕はレポート提出の締め切りを勘違いしていて、あっという間に過ぎてしまったのです。講義のある日に出すものだと思っていましたが、全然そんなことは無かったのです。
問題の講義が始まる2日前に友人からそれを告げられ、僕は膝から崩れ落ちました。
レポートは講義全体で2回課され、今回はその1回目のレポートを出し忘れていました。つまり、受理されないと50点消滅し、晴れて僕は留年というわけです。
交渉がまだ残っているじゃあないか!!!!
しかし、ここで僕はとある会話を思い出しました。
それは第1回目の講義のことでした。
教授「君、前期もこの講義受けてたよね?」
生徒「レポートを出し忘れちゃって」
教授「なら仕方ないね」
ここから算出される答えは一つ。教授に慈悲は無い!!!!!!!!
加えて、出席点を取らない講義なので僕は最初の1回しか出ていませんでした。
そんな生徒が果たして救ってもらえるのでしょうか。
そんな事を幾度となく考えては崩れ落ちていました。一旦寝て起きてもベッタリとした不安が心を離れてくれず、「ああこれは本当の恐怖なんだな」と改めて認識しました。
今回は努力でどうにかなるような問題ではない。終わった。留年!!
ぐるぐると頭の中を弱気な言葉が泳ぎ回り、何もできないほどに衰弱してしまいました。キャンパスが変わるため引っ越しの手続きをしないといけないが全然進展が無かったり、サークルの準備が終わらなかったり、ストレスが何重にも増して圧し掛かってきました。
レポートを書いて交渉するという手段がある。それは分かってはいましたが、虚無感が満ち(虚無が満ちるというのはおかしな話ですが)のんべんだらりとカーテンを閉めた部屋でずうっと横になっていました。
勿論1日前になっても何もする気が起きず、朝に寝て夜に活動をするという不健康極まりない生活が相も変わらず続いていました。
twitterに留年の恐怖を吐くと、同じ学部の僕よりも単位を落としている仲間から励ましのメッセージが届きました。「交渉に失敗したら、病気を偽装せよ!」とのことでした。
新たな道が開けた気がしました。なるほど、どうやら不眠症や心身症が効果的らしい。何となく元気になりました。
シラバスを読み込み、クオーター科目後半で単位を取得できないものかと画策したところ、2つだけ単位の取れる講義を見つけることが出来ました。
1つは英語の講義です。見た感じスピーチをしたりディベートをしたりなどの少々きつそうな内容でしたが、背に腹は代えられません。その講義を受けることを決意しました。ふと何の気なしに講義の開講場所を見てみると、シリコンバレーと書いてありました。留学している暇は無いのであえなく却下となりました。
2つ目は数学の講義です。微分積分学Ⅲという仰々しい名前だったのを記憶しています。そもそも文系なので全く微分積分を知りませんし、勿論ⅠもⅡも受講していません。加えて、その講義の時間には僕の中国語の講義があるのです。毎週中国語の時間に腹痛を訴えて教室を抜け出し、微積の教室に紛れ込むという事を真剣に考えていました。
とりあえずレポートを書いて交渉する!!!!!!
心の中の天使の声が大きくなってきました。「まだ自分にも未来はあるのかなあ」とぼんやりと考え始め、昼に起きて眠くはないのだけれどレポートに備えて22時に眠ることにしました。目覚ましを5時にかけていたのですが、思ったよりも早く2時に目が覚めました。
ここでtwitterを見たのがまずかった
僕の所属しているサークルでskypeのメンバー募集のツイートがあるのを発見し、何の気なしに会話に参加してしまいました。2時から4時まで通話をしてしまい、自分でも驚くほどの空元気をそこで発揮していました。
その通話では、僕が思い描いていた交渉のプランを説明しました。一部言ってない部分もありましたが、これが当時の僕が考えた最高のプランでした。
1 まずは素直に謝る
2 本題に入り、レポートを受け取ってもらう
3 ダメなようなら留年を盾に再度交渉をする
4 それでもダメならめちゃめちゃ土下座をする
5 教授が受理してくれるまで付きまとう
6 ダメなら教授のチンチンをしゃぶる
今思い返すと、当時の自分が如何に狂っていたかが分かります。6番は50%の確率でやっていました。包丁を持って自殺する振りをし、レポート受理と引き換えに止めてもらうなども真剣に考察しましたが、10分考えてそれは良くないことだと思ったので止めることにしました。それくらいまでに心労が絶えなかったことをお分かりいただきたいのです。
4時に通話を終え、風呂に入り、ぼうっとする時間を経た後についに僕はレポートに取り掛かりました。確か5時30分ごろだったと記憶しています。何についてどのくらいの文字数のレポートを書いたら良いのかを友人に聞いていたにも関わらず何一つ覚えていませんでした。いや、正確に言うと本を読んで感想を書くという事だけは覚えていました。でも、まさか1冊丸々読まなければならないとは思っていませんでした。幸いなことに、200数ページの本を読み1000文字程度の感想を書けばよいとのことであったので幾何かの余裕が生まれました。
講義が始まるのは8時40分。自宅から大学まで行き、レポートをプリントアウトして講義前に教授と交渉する時間を逆算すると8時20分に家を出れば良さそうです。
あれは忘れもしない6時24分。既に本を半分ほど読み終えていた僕は脳を休めるために10分間の仮眠を取ることにしました。しかし、あろうことか僕は6時24分に目覚ましをセットしてしまいました。つまり、現在時刻にセットというわけです。当然目覚ましは鳴りません。えらく10分が長いことを訝った僕が目覚めたのは7時34分のことでした。本は半分しか読んでおらず、レポートは一文字も書いてもいない状況。再び絶望しましたが、そうしている間にも時間は無情に過ぎ去って行きます。重要そうなところだけを高速で読みとり、支離滅裂な文章をがむしゃらに書き上げました。何とか8時20分に書き終え、無事にプリントアウトもできました。
教室に着いたのは8時34分でした。1秒1秒が無限に感じられ、口がカラカラに乾きました。待てど暮らせど教授は来ませんでした。講義が始まっても来ませんでした。
8時43分。ようやく教授が来ました。僕は講義が終わってから交渉することに決めました。
「この講義中は必死にアピールをしよう」
浅はかかもしれませんが、僕の出来る最大限の足掻きでした。目を合わせて真剣に話を聞いているアピールをしましたが、教授は全くと言っていいほどこちらを向いて話してくれませんでした。
「講義に普段出ていないのがばれている」
それもそのはず。講義室には10数人しかいないのですから。
そろそろ講義もおわるだろうとスマートフォンをちらりと覗くと、9時32分。後半戦が始まったばかりでした。「このまま延々と苦しい講義が続くのかなあ」と思っていた矢先、事件は起こりました。
教授の雰囲気が変わり、黒板に何かを書こうとしている様子。「オ」と言う文字が黒板に現れた時、僕は確かに「オプション」という単語が出ると何故かはっきりと感じ取ることが出来ました。
案の定「オプションレポート」と黒板に書かれているではありませんか!!!!
皆さんは自分の体内に小宇宙を感じたことはありますか?
僕はあります。
教授「これは出さなくても減点はありませんが、出せば加点します」
菩薩
菩薩ですよ
まさしく菩薩
体内から生命のエネルギーが湧き上がる実感を得ました。力が漲ってきました。
しばらくして大分冷静になり、何点加点されるのかを考えました。常識的に考えたら10点でしょう。つまり、次のレポートで満点をとらないかぎり留年します。僕は再び絶望の淵へと立たされました。
長かった講義も終わり、教授に隙が出来ました。
ここを逃さず、ついに待ち望んだ交渉が始まったのです。
僕「あのう、レポートの締め切り過ぎちゃったんですが。。。」
教授「ああ、受け取りますよ」
!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?
ええ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~?????????????????????????????????????????????????????????????????????????
そんなにちょろくて良いんですか教授
僕「ちなみに減点って。。。?」
教授「ありませんよ」
!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?
ええ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~?????????????????????????????????????????????????????????????????????????
そんなにちょろくて良いんですか?
こうして僕の留年は回避されました!
レポートをやってないので今度出すとか言ってたタワケがいたのには腹が立ちましたね。ですが、教授は優しいので受け止めていました。
留年回避を実感し、力が抜けて呆然自失しているところを、応援してくれた友人が受け止めてくれ「良かった。良かった」と笑い合い、教授がそれを見て微笑んでいる。何という幸せな光景でしょうか。
人生の素晴らしさを知りました。
【あとがき】
留年回避の喜びで脳のリミッターが外れていたのか、2限の体育でバドミントンをやったら指の皮が剥がれ落ちて筋肉疲労を起こして右手に力が入らなくなりました。(もう治りましたが)
昼ご飯を学食で大量に食べ、金を使いすぎてしまったのでその翌日のバイトに行く時に乗ったバスでお金を払えなくなり遅刻(大変でした)。
体力も気力も消費し切ってしまい、翌日は夕方まで睡眠。講義をサボり再び留年の危機に立たされました。
僕に励ましのメッセージを送ってくれた仲間は留年しました。
ひとまず首の皮一枚繋がったといったところでしょうか。皆さんはこうならないように気を付けてください。それではまた。