戦闘民族の獄

きゅーぽけ所属 モンローです

ぼくのぜんしょくにっき

お久しぶりです。鈴木です。

社会人5年目となったこの私、なんと転職しました!!!

5年目ともなると周囲の人間も3割くらいが転職しており、私もずっと転職のタイミングを伺っていました。

 

今回は前職での出来事や転職活動をまとめたかったのですが、あまりにも前職のパートが長くなりすぎたためブログを2つに分けました。

少し長くなるのですが、是非読んでいただきたいです。(転職編は近日中に公開します)

学生時代の就活ブログも載せておくので本当に暇すぎる人はこちらもお読みください。

monroepoke.hatenablog.com

 

入社前(大学4年生)

研修1回目

私は大手コンビニ会社から内定をもらった。特に行きたい業種ではなかったがそこしか受からなかったためありがたくそこに決めた。

 

当時は殆どアルバイトをしておらず手元には毛ほどの金もなかった。夏に会社の新入社員研修が開かれるということで、新幹線の事前予約割引を駆使して大阪まで向かった。

内容は入社後にすることの軽い説明と、同期たちとの親睦を深めるというものだった。4人1組が縦1列になり先頭の人間が目隠しをする。後方の3名がムカデ人間のように連結し、先頭者に歩く方向を指示してゴールまで到着するというゲームをした。

5時に起きて高い金を支払ってわざわざ大阪まで来てやったのに自分はいったい何をしているのだろうと思った。

初対面の関西人に「俺らもう友達やんな!」と言われたので「ちがうよ」と言っておいた。

研修終了後に同期たちで飲み会があったらしいが当然誘われていなかった。

 

研修2回目

卒論をまじで書かなければならない時期にまたしても研修が大阪で開催された。

研修内容はあまり覚えていなかったが、異様に歯の汚い女がいたことだけは覚えている。

今回は飲み会に無理やりにでも参加しようと思い新幹線を遅い時間に予約していたが、飲み会はなかった。予約時間の変更は不可らしく駅構内で4時間ほどただ座っていた。

 

最寄りの博多駅に日付が変わるギリギリに到着した。外は大雨だった。勿論傘はない。

「コンビニの社員になるのだから系列の店には自転車を停めてよい!」という超理論で駅近くのコンビニに駐輪していた自転車は撤去されていた。

タクシーを拾う金もなく、意味もなく持っていた卒論に使う文献を濡れないよう大事に抱きかかえながら1時間歩いて帰った。

 

入社後1年目

4月~社会人生活開始~

入社式は寝た。隣にいた女を食事に誘うが断られた。よく考えたらクレヨンしんちゃんの話しかしていなかったから当然ともいえる。

 

社会生活が始まった。片道1時間半を掛けて人生初の満員電車に押しつぶされながら通勤をして心が病んだ。

タトゥーまみれの坊主が満員の電車内に座っていたり、駅で大声を出しているおじさんを見ながらどことなく春を感じた。

ある日出勤していると電車内で押されてバランスを崩してしまい、席にいたおじさんの膝の上に座ってしまったこともある。どうしてもそこから動くことができず、おじさんが眠ってしまったので私もそのまま寝た。ありがとう。

 

社員寮が一緒の同期と帰宅中に新宿駅を歩いていると「こんなとこ通ってるんだ」と言われたため、土地勘のある同期に普段通っている道を教えてもらった。しばらく歩いているとその道が行き止まりだった。よく分からなかったので事情を尋ねると、初めて通る道を案内したらしい。怖すぎて人生で3番目に怒った。最寄り駅に着いて牛丼屋に誘われたが流石に行かなかった。

 

通勤が苦痛すぎて何度も遅刻をした。同じく遅刻をする同期とよく居残りさせられて叱られており、「なぜ度々遅刻をするのか」という上司の問いに対し同期が「洗濯物が干し終わらない」と意味の分からない返答をしていて、こんなやつらと自分が同等であることに絶望した。

 

出勤をしても地獄。「この会社は学歴で採用していません!」といきなり上司が大声で騒いでいた。じゃあ何を見て採用したんだよ。仲良くなった人の大学名を調べてみたら遊戯王みたいな偏差値だった。BF(Border Free)というらしい。

とにかく大声を出して挨拶をさせられた。接客業だし仕方ないのでそこは耐えた。

 

5月~11月店舗勤務その1

1ヶ月の研修を経て晴れて店舗に配属となった。

初日に白ズボンを履いて行ったら店長に非常識だと叱られた。後で分かったがそもそもダサいアイテムらしい。さっき捨てた。

 

店は物凄く暇であり、それに対し社員が8人もいたので何も学ばずに苦労することなくぬくぬくとしていた。

ただ給与が脇毛くらいしかなかったため転職は少し考えた。

上司に転職を考えていると打ち明けたところ「今辞めたら経歴に傷が付くから3年は待て」と言われ思いとどまった。相談した日から少し嫌われた。

これも後になって分かったが、部下が退職すると上司の給与が下がるらしい。やられた。

 

12月~6月店舗勤務その2

異動の内示が出た。これまでよりも過酷な店舗に配属となった。朝は歯のないアル中のババアがいて、昼はすぐにキレる中年と、風呂に入ってない中年の2名がいた。夕方には悪口でサークルの雰囲気を壊すことが趣味の大学生がいた。夜勤のウズベキスタン人がトんで人生で2番目にキレた。

 

社員は廃棄食品を食べてはならないきまりだったが、しっかりと食べた。同期に密告されてしまい顛末書を書いた。同時期に夜勤者が店の金を盗み社内で炎上した。コロナも始まりいよいよ頭がおかしくなって休職を考えた。コロナになって仕事を休もうと汚げな場所をねり歩いていたが、効果はなかった。

 

この頃zoom飲み会が流行っており、酔いすぎて自宅の床に吐いた。恥ずかしい。

2年目

6月~3月店舗勤務その3

異動の内示が出た。新店をオープンする担当となり、スタッフの面接や開店の準備などをした。開店前日に社員一人ひとりが関係者全員に向かい挨拶をする。何を話すか考えておらず、直前に見た後輩のメモを思い出してそれを喋った。

 

彼氏がいるアルバイトの子に告白をしたら「彼氏がいる」という理由で振られた(小泉進次郎)

給与は1年目と変わっておらず、何なら税金の関係で1年目よりも低い鼻毛のような額であった。

 

3年目

4月~9月店舗勤務その4

異動の内示が出た。本来であればこのタイミングで営業部に配属となりエリアマネージャーをする。しかしながらコロナの影響で現場が混乱しており、無期限で店舗勤務延長を言い渡された。

異動先は"霞ヶ浦"と上司から告げられた。官公庁街の"霞が関"だと勘違いしており言われたままに調べるとそこは茨城県であった。1週間後に転勤を余儀なくされ比喩抜きで泣いた。

 

茨城県は車のない人間が住むには過酷すぎた。スーパーの近くに住まないと生活ができず、その結果駅からも職場からも6km離れたとんでもない場所で暮らすこととなった。

何故だか自転車通勤が禁止されており既に廃棄を食べて後がない私はルールを守らざるを得なかった。片道1時間かけて山道を歩いて通勤した。東京喰種でカネキが耳に入れられていたものと同じ種のムカデが出たりした。

休日もどこにも行かず家の中で過ごした。この頃に自分の中から怒り以外の感情が消えた。

 

程なくして会社から通勤用の車が貸与された。パピルスドライバーだったので9月に返却するまでに3回事故をした。

給与がわずかに上がり脛毛くらいにはなった。

 

10月~3月営業部その1

異動の内示が出た。東京で営業部として配属となった。エリアマネージャーの見習いのようなポジションであった。

 

休憩中に車内でシャドバをやったり、会議中に寝たり、早く終わったのでもう帰ろうと言ったりしていたら職場全員から嫌われた。後に上司となる先輩には3ヶ月無視された。

 

土日も時々出勤があるため精神のみならず肉体的にも参った。転職を考え簿記の勉強を始めたが、1週間ともたなかった。

 

4年目

4月〜8月営業部その2

その気になればいつでもエリアマネージャーになれたのだが、見習いの立場が楽過ぎて昇進する気は全くなかった。そのことを上司に知られてしまい、最低の評価を受ける。

給与も変わらないままで中小企業診断士を目指すが3日で勉強を辞めた。

 

9月〜3月営業部その3

私が昇進しないと後輩たちが見習いになれないらしく無理やりエリアマネージャーとなる。

前に3ヶ月無視してきた先輩が上司になり詰む。

給与が5万円あがり、ようやくまつ毛くらいになった。

 

店舗にトラックが突っ込んだ日に、店員が未成年に酒を売ってそいつが逮捕されたり中々ハードな経験をした。未成年逮捕を上司に隠蔽しようとしたがバレた。

朝から晩まで仕事をし土日にも沢山仕事をした。

3月末に転職先から内定が出る。

転職パートは割愛。

 

5年目

4月営業部その4

仕事はそれなりに頑張ったが、上司に嫌われていたのに加えて隠蔽が祟り評価は得られなかった。

給与は900円しか上がらなかった。

4月末に退職した。

 

アドバイス

就活ブログにも書いたが、働くうえでは軸が必要である。

よく調べずに入社したが、全国転勤はきつい。

昇給も遅く仮に昇進したとしても給与はさほど変わらない。

コンビニ業界ということもあり24時間365日何かが起こる。

これから就職をする人は口コミなどをよく調べてから入社することを強くお勧めする。

会社の同期は入社してすぐに退職をしたが、しっかり転職先が見つかっていた。無理ならすぐに辞めた方が良い。

 

おわりに

ここまで読んでくださりありがとうございました!暗い話や文句がベースのブログでしたが、社会性のない私にとっては良い経験にはなったと思います。後悔はないです。

転職についてのブログは近日中には公開します。